この罪刑法定主義は、近代刑法の大原則であるだけでなく憲法の規定する適正手続の要請でもある。
しかし、以下に見るとおり、テロ等準備罪は罪刑法定主義の観点から問題がある。
テロ等準備罪は、①「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」の構成員が、②二人以上で特定の犯罪の計画をし、③その計画に基づいて準備行為がなされた場合に成立するものとされる。または、①組織的犯罪集団に不正権益を取得させたりまたはその維持・拡大を目的として、②二人以上で特定の犯罪の計画をし、③その計画に基づいて準備行為がなされた場合にも成立するものとされる。
これらの点についてまず、①行為の主体あるいは不正権益取得等の目的の対象となる「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」の意義が不明確である。政府の説明では、一般市民が処罰対象となることはないというが、「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」の意義が明らかでなく、しかもその該当性の判断は第一次的には捜査機関が行うことを考え合わせれば、恣意的な運用の危険性は大きく、一般市民が処罰対象となるという懸念は払しょくできない。
そして、②の「計画」とは一体何か、如何なるやり取りがあった場合に「計画」がなされたことになるのか、不明である。③の「準備行為」の要件に関しても、何をもって「準備行為」とするかが曖昧、不明確である。そのため、例えば、「計画」に参加した者が生活費のためATMで現金を払い戻しただけでも犯罪実現のための資金の準備行為と判断されかねず、処罰範囲を限定する機能を有さない。ともすれば、「準備行為」には法益侵害結果の発生前に行われるあらゆる行為を含む、という解釈すらも許しかねない。
このように、テロ等準備罪の内容はあいまいかつ広範であり、罪刑法定主義に反するおそれがある。
上述のとおり、罪刑法定主義は憲法上の要請であり、政府は、憲法を遵守する立場にあるのであるから、法案が罪刑法定主義に反しないものであると示すことは、政府の基本にして最重要の職責である。しかし、法案の文言と政府の説明を見ると、罪刑法定主義の観点から問題があるといわざるをえない。
また、仮にテロ等準備罪の対象となる具体的犯罪が発生した場合に、その被疑者、被告人のもつあらゆる人間関係(会社、組合といったものから私的な交友関係まで)が、「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」に当たるのではないかという観点から、捜査の対象とされるおそれもある。
このような捜査が正当化または立法化されれば、テロ等準備罪の成立要件があいまいであることも相まって、テロ等準備罪で立件されるおそれから、表現の自由に対する萎縮効果を生じさせるおそれが高い。
しかしながら、同条約が対象とする「組織犯罪」とは経済犯罪であり、そもそもテロ犯罪等は対象とされていない。また、共謀罪の議論が始まった当初には、東京オリンピックの開催は議論すらされていなかったにもかかわらず、今になって東京オリンピックやパラリンピックの開催にテロ等準備罪の制定が必要である、などと説明するに至っている。このように、テロ等準備罪を制定する目的についての政府の説明には一貫性がない。これでは、テロ等準備罪の制定の目的は不明確だと言わざるを得ない。国民の内心の自由や表現の自由への侵害のおそれすらある法律の制定目的が不明確であることは不適切である。
そもそも、どのような目的であれ、憲法上の要請に反する立法は許されないのであり、憲法上の要請に反するおそれがあるテロ等準備罪の新設は、立憲主義と国民の自由を軽視するものといわざるを得ない。
2017(平成29)年5月8日
旭川弁護士会 会長 飯塚 正浩